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momotarou不動産 STAFFのblog

momotarou不動産 STAFFのblog 地域の情報、得する不動産情報、速報 物件情報 STAFFの日常を面白 おかしく 紹介します

吹田店のメンバーでクルージングしてきました!

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店舗責任者の仮屋です



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鹿児島県鹿児島市出身 昭和48年3月18日生まれ 34歳

          (小中学校編)

 小学生の私は、ほんとに良く言えばのんびりした、悪く言えばどんくさい子でした。毎朝、朝早くに家を出て学校へ出掛けるもののなかなか学校に着かないんです。学校から「まだ来てないのですが・・・」と母に電話が鳴る。「早くに家を出たんですけど・・・」と母。家から学校までは1KM位歩いていくのですが、途中で何をしていたのでしょう?兄が見つけました。  ありんこを眺めていました。いつまでも、いつまでも・・。算数のテストで0点をとりました。購買部でお金を落として本が買えなくなりました。6年生まで海パンをはいて公園でどろんこ遊びをしていました。野良犬におそわれる友達を助けることができませんでした。前習えで腰に手をあてていました。道に落ちているキャラメルを食べました。そんな子でした。両親は「せめて普通に育って欲しい」って。でも皆にはかわいがられていたんですよ。

           

 親の不安の中、中学校に入学した私の性格は何も変わりませんでした。一点だけ大きく変わった点があったんです。勉強のできる子になったんです。中学校のテストって順番がつきますよね。いい順番になるのが快感になったんです。家で勉強はしたことありません。なぜかテストでいい点がとれるんです。いまだによく分かりません。私の中学校はマンモス校で1学年15クラス650人位いたんですが、さすがに1位はとれませんでしたが、10位前後にいってました。両親は信じられないって言ってました。最初はこの子は頭がおかしくなったんじゃないかと。

そんな小学校、中学校時代をおくりました。

そして人並みに楽しい高校生活をおくりました。当時はバンドブーム
で御多分にもれずドラマーとして3年間パンクロッカーで頑張りました。一番女の子にもてた時代でした(悲)。
卒業して愛知県の大学に行く事になったのですがそれからがアウトロー
の人生が始まるのでした。

           間省略

          (不動産はじめる編)

仕事として不動産を始めることになりました。26歳のときです。なぜ始める事になったかというと妊娠しました。嫁さんが・・・。それまでプータローでした。いろんな仕事しました。でも1年と続いた事はありませんでした。嫁さんと知り合ったのはニュージーランドでした。そこで
スノーボードをしながら出張散髪屋(違法らしいですが・・)をやって
いたのが嫁さんでした。日本に帰り新潟の赤倉温泉で一緒に働きながら
スノーボードを一所懸命にやっていました。シーズンも終わり、嫁さんは実家の埼玉へ僕は実家の鹿児島へ帰っていきました。1週間もしないうちに「できちゃった」と。26歳プータローの春でした。

           (不動産編)
そんなこんなでちょうど桃太郎の前身の会社を今の社長がつくったばかりだったので子供を生む為にプータローでは嫁子供を食わしていけない。社長を頼るしかなかったんですね。あの頃は社長も会社作ってまもないころで必至でやっていたと思います。人を雇う余裕もなかったと思います。営業なんてやったことない、やろうと思ったことすらない、何をやっても続かない、仕事できない、お金ない、何もない。あるのは妊娠中の嫁だけだったんですね。そんな僕を「こいや」と快く引き受けてくれました。妊娠8ヶ月位のときに嫁と大阪にやってきました。ガスが
とおってなくて嫁に水風呂をあびさせたこともありました。妊娠中でしかも大阪になじみのない不安な嫁さんを1人家におき、一所懸命働くしかありませんでした。嫁さんには苦労かけてます。今でも苦労かけてます。
しかし、不動産の仕事は我慢の連続でした。毎日毎日やめたいって思ってました。やめたいって思わない日は1日もなかったくらい・・。むいてない!最初のころは運転手、TELアポ、雑用しかさせてもらえずどなられ、いじめられながら(社長じゃありません)営業はさせてもらえませんでした。そうして半年がすぎていきました。



営業 岡部です

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吹田店の岡部です。 まじめで誠実。安定が一番!そしてマイナーが大好き!
裏を返せばつまらない人間です。
最近はそういう自分を壊して、大きな人間になりたいです。
三つ子の魂百までとはいいますが…


まずは僕のプロフィールから
東大阪の下町で生まれ、鶴橋のこれまた下町で育ちました。
現在は、結婚を機会に高槻に住んでいます。

両親が鶴橋で喫茶店をやっていた為、僕は常にかぎっ子でした。
小学校の時は学童保育に行ってました。
お陰で同じ境遇の友達が沢山できたし、いろんな行事があって
楽しい学校生活を送りました。


中学時代は陸上部に入ったもののロクに練習もせずに仲間同士で「探偵」「オイチョカブ」
ばかりやってまして練習をし記憶が無いくらいです、たまに地区大会にでても散々でした。
そして幽霊部員に。。。


高校時代は、クラブには所属せず、アルバイトとパチンコに明け暮れてました。
この頃は、全台モーニングがあったので、朝からパチンコ屋さんに行く日も多かったです。
高校生だというのに、僕は相変わらずのベビーフェイスだったのですが、出入りしていた
お店からは、一度も年齢確認されなかったのが、今思えば不思議です。

勉強の方は特に進学校でもなかったので苦労すること無く卒業することが出来ました。

そして、進学か?就職か?
中学の時は進学したいと思っていましたが、高校に行ってからは、堕落した毎日に溺れ
これ以上勉強して大学に行きたいとは思わなかったし、狙える大学も無かったです。
浪人? 何?
それなら、働こうと思いました。


親が喫茶店をやっていて、自分も同じ仕事をするのは、なんとなく嫌だなぁ
(親の力を借りるのは嫌だ!スネをかじるのは嫌だという想いがあったのだと思います。)
と思って普通に就職する事を親に相談したら、○○○にコネがあるからそこで
働け。(そこはまず倒産しないから、安心して働けるぞっと)

まだまだガキだった僕はその話を、拒絶し、自分で就職先を探しました。
今思えば、そこで働いておけば良かったなぁと思います。

特にやりたい事も無かったし、どういう会社に行けばいいのかも分からず、
とりあえず、資本金の大きい所に行けばいいんだと思って、そこそこ大きい会社を
受けて、無事内定を頂きました。

約2ヶ月の研修を経て配属先が決まったのですが、18歳で特に守る物もない、
遊ぶ事の方が興味が多かった自分には、長く続くはずもなく、一年で辞めてしまいました。
お父さんお母さんごめんなさい。

それから知り合いの測量事務所でアルバイトをしながら、どうしようかと考えていました。

しかし、心の中では、もう決まっていました。
親父と同じ仕事をやろう! 手に職をつけよう! 
しかし、親父の店ですぐに働くのは甘えが出来るから、どこかで修行してこいと
言われて、紹介されたお店で、働く事になりました。





 


 

営業事務の林です

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営業事務の林です


こんにちは!


皆様は元気でしょうか?


私は毎日元気です


常に電球でいることが大事と聞きました


なぜなら明るい場所に行くよりも自分が明るくなれば


周りも明るくなる気がしませんか?!


という事でこれから長い間お世話になります


皆様も是非!!


吹田店へお越しくださいませ...


 

社長の命令でblog始めました!(トホホ)

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